国民作家と言われる夏目漱石も、朝日新聞社入社第1作の『虞美人草』からして、当時話題をさらっていた東京勧業博覧会を書き込んで読者サービスに努めながら、道徳的なテーマ設定において失敗したと見るや、以後自分の「哲学」を封印し、二度とそれを書くことはなかった。それが新聞小説家夏目漱石の職業意識だった。だから、漱石は一時期文壇からは「通俗作家」として低く見られたのである。
大江と古井の「対話」を読むと、文学の外へ開かれていないように見える。彼らが、文学がジャンルとして非常に強い強度を持っていて、それだけで十分「やっていけた」時代を生きてきたからだ。それは近代のある時期において現れた特定の状況でしかなかったことがはっきりしはじめている。しかし、大江健三郎の最新作『水死』(講談社)は、懐古的で、かつ自己言及的な作風になっているが、構成上の工夫によってまさに「自己プロデュース」を行っているように読める。そこに大江なりの危機意識と職業意識を見たいと思う。
大江と古井の「対話」を読むと、文学の外へ開かれていないように見える。彼らが、文学がジャンルとして非常に強い強度を持っていて、それだけで十分「やっていけた」時代を生きてきたからだ。それは近代のある時期において現れた特定の状況でしかなかったことがはっきりしはじめている。しかし、大江健三郎の最新作『水死』(講談社)は、懐古的で、かつ自己言及的な作風になっているが、構成上の工夫によってまさに「自己プロデュース」を行っているように読める。そこに大江なりの危機意識と職業意識を見たいと思う。